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空き家の定義・ボロ屋の反対

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「空き家問題」がテレビなどでも頻繁に取り上げられるようになってきた。
そもそも空き家は、不審者が住み着いて犯罪の温床や、火災などの原因となったり、ゴミの不法投棄や老朽化による倒壊など、地域社会の厄介者であったが、今それが急速に増加し、身近なところにもその予備軍が忍び寄っていると。そしてその対策としては、所有者がきちんと利用するか解体するしかなく、いずれにせよその所有者の動向を把握することが急務とされている。だが、こんな所有者任せの解決策など無に等しい。そもそも所有者が持て余しているからこそ、空き家は生まれるのだから。

空き家と空室は違うものだ。空室は入居者が見つからない貸家のことで、空いてはいるが、放置されているわけではない。だが空き家は物がいっぱい残されていて、貸すことも出来ない家だったりする。つまり、皮肉なことに空き家は「空いている」とは限らない。このように、空き家問題の難しさは、空き家そのものの定義が曖昧なため、その課題認識には人によってバラツキがあり、その解決イメージがほとんど論じられてもいないことだろう。私自身「空き家の無い社会を目指す」と宣言したものの、それは果たしてどのような社会なのかを描いて見せなければ、この議論は空転し続けるだけだ。
笑恵館は、その答えを直感的に具現化するプロジェクトだ。先述の通り、私はまだ「空き家」をきちんと定義できていないが、笑恵館を進めることは出来ている。だから笑恵館の価値を説明できればこの問題は解け始めるに違いない…と、私を動かしている何かを言葉にしたいと毎日念じていた。

そんなある日、ボロ屋のリサーチを思い立ち、早速準備に取りかかった。空き家問題の一つ「老朽化」について、これを悪とせず価値に出来ないかと考え、まずは事例を調査し「ボロ屋の良し悪し」をきちんと論じて見たいと考えた。そしてこれを勝手に宣言しフェイスブックに投稿した直後、ふとこんな気持ちがよぎった。「自分の家をボロ屋と呼ばれて喜ぶ人などいるものか」と。確かに私は「ボロ屋が良い」と言っているのでなく、「それが何か素晴らしいものになる可能性」を言いたいのに。そうか待てよ「空き家問題を論じる時、空き家が悪なら何が善なのか…」私が求める空き家の定義とは、空き家の説明ではなく空き家の逆を言うことかも知れないとその時気づいた。

「マチュアハウス(Mature House)」とは「成熟した家」のこと。家は「歳月を経て成熟し豊かな実りをもたらしてくれるもの」と考えたらどうだろう。

いつの間にか私たちは「新品の魅力」に憑りつかれてしまった。あらゆるものが「コストパフォーマンスの向上」の対象となり、新しいものが古いものより優位に立つようになった。この仕組みは経済的には大いなる成長をもたらしたかもしれないが、2つの大問題を生み出した。一つは「人間の劣化」、そしてもう一つは「ゴミ」だ。
「ものの進化」が「人間の進化」に優先し、「与えられる新品」で課題を解決する人間が増えている。私は持物を素晴らしくするのでなく、自分自身を高めたい。自分で考えない人に答えを売りつけるのでなく、自分で考える人たちとともに自分を高めたい。できることなら一切ゴミを出さずに新しい世界を作ってみたい。

建物を、古くなったら立て直すのでなく、マチュアハウスの実現を目指して成熟させていきたい。不便になったら直せばいいし、弱ってきたら補強すればいい。永く使うことで、いや永く使うことを覚悟するだけで、今日から暮らし方が変わってくるのではないだろうか。

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